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静御前が託した仏像
不動明王と二童子像
こちら鈴ケ神社のある鈴久名地区の西野家の仏像
箱石の山名家と、この西野家が直接的な関係は見いだせていないが、先祖はともに義経、または金売り吉次に縁のある家柄であったと思われる。
静御前の託した仏像: 概要
静御前が託した仏像
福禄寿
こちら鈴ケ神社のある鈴久名地区の西野家の仏像
箱石の山名家と、この西野家が直接的な関係は見いだせていないが、先祖はともに義経、または金売り吉次に縁のある家柄であったと思われる。
静御前の託した仏像: 概要
西野家 先代 西野久志氏の言葉
佐々木勝三/鈴木附文男 著
岩手県内各地の点在していた義経北行伝説を、まとめ上げた本のなかに、西野家先代当主の話があるので紹介
P72一部抜粋
「義経北行の記録」より
静御前の託した仏像: テキスト
【 「静御前様」と呼んでいる神社がある。鈴久名の大福院の西野久志氏によると、
「私の三代前の専作という九十歳の祖父が語ったところでは、甲冑をつけた義経の像があったそうで、義経はあの山に着て休まれたのだそうです」
少し行った金ヶ沢にも義経休息の跡があり、愛妾静は義経を慕ってきたのだろうか。】
考察:義経と静御前がデートした最北の地、それが鈴久名であった。金ヶ沢には、砂金採りの人工の住まう、金売り吉次の御屋敷があったとされ、義経と静も立ち寄ったに違いない。
静御前の託した仏像: テキスト
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